Medyでの質問に回答しました

Medyでの質問に回答しました

2022/9/16

文章を仕事にしたいと、SEOライターとして継続した人がぶつかる悩み。 「自己表現欲求とのジレンマ」 長く自己表現を続けてきた西平さんだからこそ、 SEOライター・編集者として大成した西平さんだからこそ、 自己表現との折り合いのつけ方を伝えられるはずです。 自分らしさを見失いそうなSEOライターへ、西平さんへの言葉を贈ってください。
こちらの質問に回答しますね。
僕が文章を書き始めたのは、大学2年生(20歳)の時で、その当時は「文章を書くこと=自己表現」だと本気で思っていました。
むしろそれ以外は「書く仕事」として成立しておらず、書き手の怠慢や傲慢さの結果だと思っていた時期もあります。
大学時代ってある種の独特な観念に囚われている時期なので、よく本来の認識を歪めてしまうことがあると思うのですが、その時期に書き始めたことによって結構苦しんだ経験があります。
例えば、Webライティングの仕事は大学3年生の頃からスタートしましたが、当時は触れているものが「論文」「学術書」だったので、だ・である調から離れた途端に文章が崩壊するみたいなことがよくありました。
当時は「書く文章=自分」っていうイメージが強くて、なかなか本来書くべき文章が書けずにいましたね。
徐々にではありますが、Web記事の「写経」などを通じて自分に「この文章で大丈夫だよ」と言い聞かせてたらいつの間にか書けるようになってました。
正確には「自分が書きたい文章」と「Webで求められる文章」を書き分けられるようになっていたんです。

「自分らしさ」は見失ってもいい

僕はおそらく「自分らしさ」を見失うのが怖かったんだと思います。
誰でも、何か1つできることが増えると、それを揺るがないものにしたくて守りますよね。
でも人生の経験から、守っているものが大して意味のないことだと分かって手放すはずです。
僕にとって「書く」という行為は、当時手放したくないものだったので、おそらく時間がかかったのだと思います。
今はたくさんの「書く自分」を知っているので、SEO記事の執筆や、指示書の指示文・依頼文の執筆、エッセイの執筆を使い分けています。最近コピーライティングも始めました。このニュースレターもそうですね。SNSライティングも。
だからもし今自分らしさと葛藤している人がいたら安心してください。
意外と、自分って見失わないものです。
むしろ現状が本来の自分と乖離していれば、コントラストで自分らしさが際立つはずです。
本当にこわいのは、自分らしさから離れることではなく、自分を忘れること、ですよね。
離れているなら、いつかその場所に戻ればいい。自分らしさを取り戻せる場所が「時間」なら休日に。「場所」なら車・新幹線・飛行機で。時間をかけて戻れるなら、いつか戻れるから大丈夫。戻ってその場所が無くなっていたら?その時また考えられるからそれも大丈夫。そんなもん。
こんな感じで自分らしさに戻れば大丈夫です。本当に大切なものなら戻れます。
ミスチルの『口がすべって』にもこんな歌詞がありますよね。
「ゆずれぬものが僕にもある」だなんて 誰も奪いに来ないのに鍵かけて守ってる 分かってる 本当は弱いことを それを認められないことも (Mr.Children『口がすべって』)
きっとそういうことなんだと思います。

「本当に書きたいこと」はおそらくいつまでも書けない

書くことについて話を戻すと、僕らはおそらく「本当に書きたいこと」はいつまでも書けないです。
「本当に書きたいこと」の定義が難しいですが、胸の内にある本当に伝えたいことって観念的なものだと思うので、きっと言葉にすると一言多かったり、一言少なかったりすると思います。
結局のところ、本当に書きたいことは書けなくて、それがもし叶うとしたら、それは「言葉以外の何か」だと思います。
それくらい言葉って限定的で、頼りなくて、情けないものなんです。
それを仕事として、日々の生活として使っている。
「日本語」という信頼の元で、会話が成り立っている。
とても今さらなんですが、ライターとして日々仕事をしていると、ふとこういう当たり前に正面からぶつかることがあります。
「こういう文章が書きたい」「こういう文体で表現したい」は叶っても、「その文章を通じて伝えたい何か」はいつまでたってもその全体で伝えることができない。いつも字足らず、字余りになってしまう。
そういう言語の宿命に立ち向かうのを建前として諦めた時、僕はライターとして仕事を得たのかなと思います。

「本当に書きたいこと」は言葉にならない

どうでしょう。本当に書きたいことって、「言葉以外の何かのまま」ではないでしょうか?
僕らは息をのむ絶景を見た時、文字通り「言葉にならない感動」を覚えます。
きっと本当に書きたいこと、感動したこと、伝えたいことは言葉以前の何かなのかなと。
そこから無理矢理、言葉で切り取ってしまうから、字足らず・字余りになる。
記号論では、「言葉とは、対象を音で切り取り、恣意的に結びつけたもの」と定義されます。
「木」が「木」である必然性はなく、「木」を「ki」という音で恣意的に結びつけたから、「木」は「木」なのだと(英語では「tree」)。
僕らが日々生きて、感じること、受け取るものは、実はその瞬間しか目の前に存在しません。
ゆうべ、あなたひとり「だけ」が、たった一回「しか」体験しなかったことがらには、名まえがついていない。(佐藤信夫『レトリック感覚』)
デジャヴとか先人が残した言葉とか、親や知人、上司が言った言葉も、そのどれもが実は限定的なもので、僕らは言葉を使って「ある感覚・知覚・現象」を「その対象と恣意的に結びつけて」います。
日々色々なことをいい加減に過去の記憶と結びつけて生きること、それが人間の性かもしれませんが、時々私たちは今目の前にある景色を「今までに一度も見たことがなく、そして二度と見ない景色」だと直感します。
きっと直感した人は、「ライ麦畑でつかまえて」のラストシーン、ホールデンが動物園で、雨が降りしきるなか回転木馬に乗っているフィービーを眺めながら強い幸福感を覚えることを、何となく共感できると思います。
「きっと人生において本当に美しいことは、過ぎ去ってしまって、二度と戻ってこないことなのだから。」と、村上春樹が青春三部作のいずれかの作品で言っていたのを思い出しました。

まとめ|自己は「言葉以外の何か」で伝わるもの

だいぶ脱線しましたが、自己表現は「書くこと」とイコールで結びつけない方がいいと思います。
というか、結びつけない方が、僕ら書き手にとっては生きやすい。
「いつまで経っても自己表現はできないもの。もしかしたらいつか二度とやってこない光景として目の前に現れるもの」
と思っている方がずいぶん気が楽です。
そのくらい肩の力抜いて文章書いてもいいかもしれませんね。

言葉以前の何かを「私の全体」で受け止める

僕が好きな小説に、坂口安吾の『風と光と二十の私と』という作品があります。
坂口安吾といえば『白痴』や『いづこへ』などが印象的で、「性的な描写が多い作家さん」というイメージがつきまとうかと思いますが、僕は彼の書く文章に「詩的な印象」を受けます。
僕が『風と光と二十の私と』を読んだのは、沖縄県北部の古宇利島という島にあったコンテナハウスの中でした。
かなり大きいコンテナを縦に4つほど重ねた黒塗りの建物があり、持ち主が趣味のレコードや雑貨を壁沿いに並べて、ついでにカフェとしてオープンしているような感じでした。
そこに置かれたアンティークのソファーに腰掛け、真夏の冷房のない部屋で文庫本を開いていたのを覚えています。
そしてその作品の中に、僕をとらえて放さない一文が登場します。
私はそのころ太陽というものに生命を感じていた。私はふりそそぐ陽射しの中に無数の光りかがやく泡、エーテルの波を見ることができたものだ。私は青空と光を眺めるだけで、もう幸福であった。麦畑を渡る風と光の香気の中で、私は至高の歓喜を感じていた。雨の日は雨の一粒一粒の中にも、嵐の日は狂い叫ぶその音の中にも私はなつかしい命を見つめることができた。樹々の葉にも、鳥にも、虫にも、そしてあの流れる雲にも、私は常に私の心と語り合う親しい命を感じつづけていた。酒を飲まねばならぬ何の理由もなかったので、私は酒を好まなかった。女の先生の幻だけでみたされており、女の肉体も必要ではなかった。夜は疲れて熟睡した。私と自然との間から次第に距離が失われ、私の感官は自然の感触とその生命によって充たされている。私はそれに直接不安ではなかったが、やっぱり麦畑の丘や原始林の木暗い下を充ちたりて歩いているとき、ふと私に話かける私の姿を木の奥や木の繁みの上や丘の土肌の上に見るのであった。彼等は常に静かであった。言葉も冷静で、やわらかかった。彼等はいつも私にこう話しかける。君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから、と。だが私は何事によって苦しむべきか知らなかった。
僕はこの文章を読んだ時に見た古宇利島の風景と、(いつか別の記事で書きますが)香港の南Y島で見た山頂の景色を、おそらく一生覚えていると思います。
書き手にはこうした言葉にならない感動を「体全体」で受け止める体験が必要なのかなと。
むしろそれさえ体験できて、書きたい衝動に襲われたなら、その自分を忘れず、書く自分を分けて捉えればいいと思います。
「書く」だけにこだわらなければ、きっと大丈夫。

匿名で質問やリクエストを送る

※登録・ログインなしで利用できます

記事をサポートする

記事をサポートする

感謝・応援の気持ちのチップを送ることができます。 「書く」を仕事にして、人生を豊かにしようの継続運営を支えましょう。

※登録・ログインなしで利用できます

メールアドレスだけでかんたん登録

  • 新着記事を受け取り見逃さない
  • 記事内容をそのままメールで読める
  • メール登録すると会員向け記事の閲覧も可能
あなたも Medy でニュースレターを投稿してみませんか?あなたも Medy でニュースレターを投稿してみませんか?